チェンバロ・歴史と様式の系譜
DVDブック制作エピソード(1)
構想以来、足かけ4年を費やした映像作品、「チェンバロ・歴史と様式の系譜」がようやく完成、DVDブックという形で、2009年11月22日発売を目指して、準備を進めております。
この映像は、私こと久保田が監督、脚本、製作他、キャスティング、録音、編集等すべてに情熱を注いで作り上げた、チェンバロという楽器の映像によるガイドブックです。私のチェンバロ製作歴30余年の成果を、映像化したものと言えるかもしれません。
自分の仕事の集大成が楽器ではなく、なぜ映像作品なのか?という疑問には、観て頂くほかありませんが、簡単にいえば題名とおり、この楽器の歴史や様式を知ることによってチェンバロの魅力を多くの方に伝えたい、それにはチェンバロの重要な要素のひとつである、ビジュアルの美しさを映像で表現するのが最適だろうという結論を得たからです。
しかし、個人による映像製作は困難を極めました。もちろん私は一介の楽器職人ですから、映像技術に興味をもってはいましたが、具体的な経験はありません。幸い、私はいくつかの映像ドキュメント作品に出演したり、放送映像、興行作品に楽器を提供して映像制作現場には十数回の立ち合いを経験していました。その中で機材の扱いや照明の効果などは、何となく手ごたえを得られていたのです。綿密な製作計画などは後回しでも、とにかく一歩進めてみようという、持ち前の好奇心と独学への信念だけで、第1回目の撮影現場に臨みました。これが命取り!その後一カ月くらい、続行か撤退かに悩まされる日々が待ち受けていたのです。何がそれほど問題だったのか。
何と言ってもおカネ、つまり製作資金です。映像製作がこれほどおカネのかかる仕事だとは、正直、呆然自失でした。たった一日の撮影で当初用意した自己資金の大半が、文字通り吹き飛んでしまったのです。手元に残ったのは4−5時間分のカメラテスト程度の映像。ハリウッド映像の第一優先順位が資金回収?にあることがよくわかる。一本の映画製作は巨大なビジネスであることを実感しました。もちろん私の目指しているのはそんな大掛かりなモノではありませんが…、3年以上の製作期間の実態は、ほとんど資金問題でした。情けない話ですが、足を踏み入れるべきではなかったかと自問の日々を送ります。
4−5時間分のテスト映像を毎日毎日再生しては、時が降りて来るのを待ちました。求めよ、さらば与えられん、の心境です。元来あまり深刻にならないタイプですので、その時がいつかは来る、その時が来たらすぐに行動できるように準備をしておこうと思いたち、安いスタジオやロケ場所探し、融資の条件、キャスティングなど、始めてみると中々楽しい作業じゃないですか。工房の休日は不定休なのをよいことに、ちょっと暇を見つけては撮影の出来そうな洋館めぐり、以前の撮影で知り合ったスタッフとの打ち合わせと称する飲み会、映画学校での試写会へ出向いて、カメラ、照明、編集などの実地研修なども、いつか実現する目的があると思えば自然に身が入ります。
社内ベンチャー仕事などという名目の融資話が、すんなりと通ったのは奇跡といってよい出来事でした。30年近く同じ場所で、大きな経済的アクシデントもなく仕事を続けてきたことが無言の信用になったのかもしれませんが、とにかく実現に向けて光が差し込んだのです。準備万端、整えておいた撮影環境は、川口市内に出来た県営「彩の国・ビジュアルスタジオ」。体育館程の広大なスペースに、大型クレーンカメラと自動昇降照明施設の本格派です。開業してまもないため予約はガラガラ、しかも埼玉県民割引制度も利用できるとあって、この時ほど県民であることに感謝したことはございません。基本的にブツ撮りは黒バックのスタジオ、演奏シーンは可能な限り自然光の美しい、歴史的な建造物であることにこだわりました。
スタジオ撮影は照明が命です。日本の映画や放送映像を観ていていつも感じるのは、失礼ながら照明のあまりの無神経、無関心。光の暴力とでも言いたい傲慢さ。日本映画が斜陽産業だった時代、感度の悪いフィルム撮影に、照明係はとにかく映れば良いとばかりに、状況設定などまるで無視した光源を使う習慣が付いてしまったこと、それに対して監督が指示を出せる立場になかったこと、とにかく高いギャラの俳優の拘束時間をできるだけ短くすることが、その映画の収益を上げる手段だった不幸な時代…。ハリウッドでは最先端の日本製デジタル・カメラが試用されていたといいますから皮肉な話です。
広大なスタジオの床と壁面を覆う、100メートルの黒布を用意しましたが、全く足りないことが判明、タクシーで日暮里に買い足しに向かわせます。黒バックの撮影はこのスタジオでは初めてということで、常備されていませんでした。
照明の趣味に関しては、事前の飲み会が大いに効力を発揮してくれました。私のイメージが事前に充分に伝わっていたのでしょう、モニターのリプレイを見ながら、私が指示する前に、アシスタントがさっさと手直ししてしまうのは恐れいりました。スタッフ全員がひとつの方向性を共有できる仕事は、最強の結果をもたらすものです。
ブツ撮りは2日ずつ2セット、4日間、12時間ほどの素材を得ることができました。しかし融資で得た資金は半分以下になってしまいました。今後の演奏シーン、ロケを実行できるのか、不安をかき消すように打ち上げ!打ち上げ…、記憶喪失。
ブツ撮り部分の編集のために、半年ほど映画学校通い。NPO法人「映画美学校」は京橋の元銀行だった古い建物の中にあって、事務所がなければここでロケをしたい位、時代がかったよい雰囲気です。地震対策か再開発か、いずれ壊される運命が残念です。
編集していると、撮影中のいろいろな出来事が思い出されます。何と言っても肝を冷やしたのは、光源をやわらげるために被せていたトレペが、熱で燃えだしてしまったこと。
幸い大事には至らなかったのですが、もし煙を報知機が感知し、スプリンクラーが作動してしまったら…。5−6台待機していた楽器が、いっぺんに全部オシャカ。それまで、他人さまの楽器も借りようかと検討していた矢先の出来事で、絶対にそれはしてはならないことと、神様が警告を出してくれたのだと納得しました。すべて自分と弟子の楽器しか出てこないのはそんな理由からです。
クレーンカメラと楽器があわや激突!なんてこともありました。カメラマンも含めてスタッフ全員がモニター映像に熱中するあまり、誰もクレーンの動きを気にしていなかったのです。悲鳴とともに数人が駆け寄って制止しましたが、レンズの先端と響板のすき間数センチ。この時も他人さまの楽器でなくてホントによかったと、胸をなでおろしました。
編集作業の合間に、演奏シーンのロケ地を探しまわりました。スタジオ収録は初めから考えにありません。スタジオで音楽を演奏している映像というものを、どうも好きになれないのです。収録のためには最適な環境なのだということはよくわかりますが。しかしこれにこだわったために、またまた苦労の連続が待ち受けているとは。






